「道は開ける」を読んで道を開きましょう

デール・カーネギーの「道は開ける」「人を動かす」のアウトプット、時事ネタ、趣味のギターや歌等についての雑記ブログ

「人を動かす」の書評

人を動かす

今日からデール・カーネギーの「人を動かす

を読んで、参考になった箇所、心に残った箇所、

そしてそこから得た学びをアウトプットしていきます。

 

「人を動かす」は「道は開ける」と共に、

あらゆる自己啓発本の原点とも言える名著です。

1937年に初版が発行されると瞬く間に

大ベストセラーとなりました。

累計で1500万部を売り上げています。

現代でも十分通用する内容となっていますが、

それは著者のデール・カーネギーが人間の本質を

理解しつくしていたからだと感じます。

 

人と接する際の基本的な原則を基に、

自分が重要視され、十分に評価されていると

相手に感じさせるスキルを教示しています。

人間は誰もが自分が重要視され、特別視されることを

望んでいます。

 

とはいえ、「操られている」と相手が

感じてしまっては不快感を抱かせかねません。

そうではなく、相手の立場に立ち、相手

が真に求めているものを与える、

という誠意のある態度の重要性を説いています。

人に好かれる方法・自分の考えを上手に伝え、

自分の考え通りに事を進めるためのスキルなどを、

歴史上の人物、産業界のリーダー、

市井の人々の逸話を交えながら、

誰にでもわかるように解説されています。

 

自覚している悪人はいない?

それでは初めにこちらを紹介します。 

クローレーシン・シン刑務所の電気椅子に座る時、

「こうなるのも自業自得だ-

大勢の人を殺したのだから」

と言っただろうか-いや、そうは言わなかった。

「自分の身を守っただけのことで、

こんな目にあわされるんだ」

これが、クローレーの最後の言葉であった。

この話の要点は、凶悪無類のクローレーでさえ、

自分が悪いとは全然思っていなかったということだ。

クローレーというアメリカの凶悪犯罪者についての逸話です。

何人も殺害した許しがたい凶悪犯でさえ、

自分は悪いと思っていなかった、とのことです。

ちょっと考えられませんよねぇ…

でも、残念ながら凶悪犯の本音はこうなのかもしれません。

 

 犯罪を犯してはいけないというのは当たり前のことですが、

その当たり前という感覚がない人間もいるということ

でしょうね。

 

周りから見ればとんでもない行為でも

本人からすれば善の行動を取っている

つもりなのでしょう。

そもそもの価値観が全く違う人を

変えることは不可能なので、

そういった現実を理解した上で、

生活するということも必要なのかもしれません。

 

それが無駄に消耗しない生き方だと思います。

 

他人のあら探しは無駄

続いて、他人のあら探しをするということの

無駄について書かれた箇所

他人のあら探しは、何の役にも立たない。

相手は、すぐさま防御体制を敷いて、

何とか自分を正当化しようとするだろう。

それに、自尊心を傷つけられた相手は、

結局、反抗心を起こすことになり、

まことに危険である。

人を非難するのは、ちょうど天に向かって

つばをするようなもので、必ず我が身に返ってくる。

人の過ちを正したり、人をやっつけたりすると、

結局、相手は逆にこちらを恨んで、

タフトのように、

「ああする以外に、方法はなかった」

と言うくらいが関の山だ。